御手杵の夢/アサダケイタ

 後生大事に仕舞われた槍が蔵にある。鴉か雀かあるいは隣の庭石に立つ紅白の着物の少女か、何処の誰ぞに突かれる程度が関の山の仄暗い蔵で、あるのは金銀財宝とまではゆかぬ宝の数々を寝床にして鞘に収まり錆とりを待つだけの槍だ。戦にも出陣せず天下三名槍とは片腹が痛い、台所の包丁より初心な鈍色の空気を周囲に演出するならまだしも、鋼鉄の刃がよもやめくれるものならば、見ろ、芯は文字通り腐っている。
 兄様、と紅白の着物の少女が縁側で尋ねる。
 何故かくも立派な槍をあのままにしておくのです。
 お前の扱いと同じだよ、と屋敷の暗所から静かな声だけが流水のごとく返ってくる。
 父上は家宝の御手杵を大層可愛がっておられる。
 耳朶で切り揃えた黒髪を振り、わかりませぬ、と少女は言う。
 審神者の相が出た故、父様は政子を引き取りました。
 畳の奥から足袋を履いた白い爪先が見える。
 それは違う、父上はお前と御手杵を真にいとおしんでいるのだから、とそれが諭す。蔵の壁では蝉が五月蝿く鳴いている。
 ならば何故、と俺たちは心密かに問う。
 父様は政子を祭祀に使ってくださらない(主は俺を戦に使ってくれない)。

 こんなものかと思っている内に一連の流れなど終わっていた。槍として夢や幻想を抱いていた訳ではないが、目の前に置かれた光景を形容するなら総じてピントのずれた写真に等しく、何やら無味の漬け物でも咀嚼していった気分だった。それでも人間の骨肉には触れているのだから、まあ腐っても槍と言えよう。首筋の柔らかさと血管の丸みを確かめ背中から腰へと向かう線を鎧ごとなぞり、臀部へと辿り着いても俺の穂先が拒まれることはなかった。奥まで刺してから抜けば時を止めたように落馬した。指が滑らかに動くほど血濡れていく。年若だろうとそうでなかろうと構いはしなかった。敵は割りかし戦慄き苦悶の声も上げるのだが、そうして殺している側といったら無関心に極々近い。今や身の内と別個体にされた俺自身の柄はひどく熱い一方、人間の身体の奥底を覗くと氷塊を抱いたように重く凍っている。相手の喉仏が上下して事切れる音が搾り出される度、錆びついた自分が磨かれていく快楽はあるが求めることに消極的になる。相反する感覚に行為を続けることも躊躇われた。
 任務を達する一息前まで目蓋の裏側に映っていたのは、屋敷で最後に開かれた夜の花見だった。蔵から出された俺は酒を片手に槍身を撫ぜる主の手許から、月明かりの夜桜と政子の手毬遊びを眺めていた。直正は家臣と剣道の稽古を付けていた。
 何でだよ、こんな時に。
 心臓というやわな器官の働きに急かされるほど、勢いづいた本能は無心で刺すことを良しとした。

 初陣にして大手柄だね、御手杵。
 名を呼ばれて我に返る。振り向くと審神者が立っていた。両脇と襟足を細く三つ編みに結い、漆塗りと同等の光沢ある黒い目を眼鏡越しに輝かせながら、うっすら紅を差した唇で誉められる。
 良くやってくれた。
 他の二本に負けられんと心底望んだ誉の言葉もとうに昔の記憶なのだろうか、自分の身に起きた事実が満足なのか不満なのか判然としない。
 俺が一番でいいのか。
 口を突いた疑心を聞き、審神者は困ったように笑う。
 纏う布地は鞘以上に重々しい。白昼の喧しい活気に混濁とする前の澄んだ朝靄を歩いていると、自分がそこに同化していくような錯覚を覚える。溶け合う想像は得てして数時間前の行為の反芻でしかないが。

 清庭の縁側まで来ると、横たわる主が奥に見えた。俺はまた変な夢を見ているのだろうか。試しに名を呼んでみるが吐息ほどの反応もなく、それどころか自分の発した声がそこへ届くよりも先に不可視の障壁に撥ね返されて畳に落ちてゆく。無反応という返事に絶望が眩暈となり景色となり目の前に広がる。主の眸で見てもらわないと、主の声で名を呼んでもらわないと、主の手で刺してもらわないと、自分を信じられなくなる。急いて拍動する心臓に苛立ちながら居間へ乗り上げようとするが、まるで力が湧いてこない。何処も痛みはしないのに鉛を飲みこんでいてもおかしくないほど全身が重く、指だけが末端らしく冷たく痺れている。背を擦らせ言うことをきかない身体をわずかに横へ這わせる。首だけを折るようにして主へと向ける。その首元から胸にかけて極度に赤い。何故こうも赤い。射しこむ夕暮れの色かと疑ったところでようやく今の時間帯を知る。真昼が連れてきた暑さは引かずに屋外は歪んでいる。秋に間に合わぬままの熱気が悪意の塊となり緩慢な苦痛を与えてくる。日が傾いても燃えるがごとく激しく鳴くことをやめない蝉の声が、断末魔に聞こえて焦燥を増幅させる。蒸発しそうな思考の中、あれは柄だ、俺の柄が赤かったんだと思い出すが、まるで何十年も前のように思い出す己の不確かさを嫌悪した。頤に膿むような汗がじわりと噴き出して不快感を煽る。判然としない不安ごと拭いたいのだが手までも言うことをきかず、あまりの不自由さに思わず腕がついているのかと、見れば手も足も感覚ごとついている。すると手足があればあったで何ひとつ欠けてはいないのに片輪のような魯鈍な身体に苛立ちが募った。怒気をこめて息を吸いこめば、喉がひゅうっと恐ろしいほど嗄れた音を立てる。枯死かあるいは壊死が訪れたに違いないと信じこんだ一瞬、背中を凄まじい勢いで戦慄が舐め上げていった。
 炎が見える。
 蔵が燃えている。
 村正も文書も何もかもが溶けていく。
 硬質化した皮膚が剥がされるような痛みを誤魔化して、眠る主の本来の姿に気付かされる。
 参ったな、あそこで真っ赤に溶けてるのは俺じゃねえか。
 痺れていたはずの指先に宿る感覚は何もなくなっていた。凶暴なほどに激しい斜陽が縁側から迫ってくる。照らされた室内が黄金というより橙というより、唯々赤い。己の掌も赤い。加えて獣めいた体液の臭いがする。胸元の赤がしみ出し蔵がどんどん侵食されていく。何もかもが赤くなる。逃げられない夜への過程が恐ろしく反射的に目を瞑る。閉ざしても尚、槍は残像の中で斃れ続けている。槍が溶けるのと俺が目覚めるのとどちらが先か。

 夢から醒めて空を見上げると青白く丸い月が浮かんでいた。夢から持ち帰った冷や汗を拭う。本日は中秋の名月だ、と蜻蛉切が話していた覚えもあるから、合点あれが名月とやらなのかとしばし惚けて首を傾ぐ。
 あー畜生。
 自然と夜桜が思い出された。亡き主に怨み言を浴びせてやりたい気分になる。
 槍ってな蚊帳の寝床に籠りきりの姫様じゃねえんだぜ。
 縁側から垂らした足下に転がる小石を蹴ると、正面の清庭の池に落ちることなく消えた。
 それなら夜市に行くかい。
 立ち上るように現れた人物の手中で小石は弄ばれていた。飄々とした審神者の面構えを見る限り、また魘されているのを聞かれたらしい。
 買い物に連れていって、見せびらかそうってぇ魂胆だろ。
 差し出された手をとり立ち上がる。ところで生きているということは、非常に不可解で不思議であるとしか思えない。俺も今こうして生きているが、その生きているという感覚とやらはてんでない。審神者の能力により付喪神にされ、手足と臓物を操り便宜上の痛覚を得たものだから皮膚や器官が反応する度そこはかとない実在感を手に入れるが、そうしたところで感覚とは全く別物だった。唯、こうした諸々を前にしても、松平の花見の夜にその感覚が多少なりともあったことは事実だろう。俺は刺すという目的のためだけに存在を許されているのかもしれないし、実は少し違うのかもしれない。何故なら今の自分は畑仕事も馬の世話もする。刺すしか能のない槍には到底できない芸当だと思う。結局この身を無様に焼き尽くすのも、悪夢を和らげてくれる掌の体温も、出元は違えど同じ熱ということだ。刀剣だけでは生み出せない温度なのだ。
 審神者の手から小石が放たれると、庭池に美しい波紋を広げた。水面の月が歪んで大輪の花に見える。
 春が来たみたいだなぁ。
 秋の夜長に何を口走っていると自分に呆れるも、冬を越したら来るさ、と鼓舞するように審神者は笑った。




アサダケイタさんに誕生日にいただいてしまったありがとうございます!!!
聞けば刀剣未プレイで台詞や資料を調べて下さったとのこと、そこまでしていただいて有り難みがやばい。
御手杵さんの言う主は松平直冨氏ですね。御手杵さんは結城家と共に語られることが多い印象なんですが
個人的には直冨さんめっちゃ気になるところやったんで、ドキドキしてしまった(語彙力…)
昔の日本語が入ってて、そこが、長い間存在してた刀剣男士のイメージに
個人的に合いすぎてて、ちょうたまらんかったです…ありがとうございます。

審神者は「星と炉の夢」からひっぱってきてくれたそうです。松本嵩春さんかぶれでおはずかしい〜

ケイタさんありがとう〜!!!

ケイタさんのサイト:Zazie